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2006年9月 6日 (水)

死ぬより、恐ろしいこと X−MEN FINAL Decision


 X−MEN FINAL Decisionを見た。(注意:以下、ネタバレ含)






























 今回の第三作は、なんというか……駄作です。二作目もダメだったけど。 

 X−MENとは、本来、スタートレックのピカード艦長演じる車椅子の「エグゼビア教授」のもとに集った正義の超能力者たちが、エグゼビアのかつての盟友マグニート率いる悪の超人たちと闘うストーリー、だったはず。

 エグゼビアズメンという意味でX−MENと呼ばれていたはずだ。(ミュータントは、X遺伝子をもつとかいうハナシもあったが)


 えてして軽くなりがちな、こうしたB級半映画のオモシとしても、彼の硬柔併せ持つ演技は必要だったはずだし、前二作では確かにそれが機能していた。


 なのに、ああそれなのに、映画開始早々エグゼビア教授は、第二作で仲間を護るために捨て身の防御をして死んだ(と思われていたが、今回、悪の二重人格を発動させて蘇ったという訳のわからん設定の)赤毛のジーンによって、あっさりと殺されてしまうのだ。

 おまけに、時折カートゥーン・ネットワークで観たことのあるアニメ版X−MENでは明らかに主役を張っている、ということは、おそらくコミック版でもそうであるはずの、レーザー・アイを持つサイクロップス(名前もふるってるし)も、開始十分ほどで何の活躍もなく犬死にするのだ。

 恋人ジーンに殺されて。

 映画が始まってから死ぬまでに、サイクロップスがした行為はジーンを思って泣くことだけだったというのも情けない。


 これだけ殺せば、あとはアニメでは脇役の、体が丈夫というのだけが取り柄という地味な能力で粗野な「ウルヴァリン」と、第一作出演後にアカデミー女優となったおかげで、二作以降では、原作以上に活躍をしはじめた、ハル・ベリー演じる「スト−ム」とアイスマン、物質通過能力をもつキティなど、小物の登場人物が残るだけだ。

 これで魅力のある映画が出来るわけがない。


 まあ、それでも、ただひとつだけ見るべき点がこの映画にはある。

 以前、わたしは「変容は恐ろしい」と題して、普通の人間がヴァンパイアになることの恐怖について書いたことがある。

 だが、その反対の恐怖もありえるのだということを、この映画は教えてくれた。

 今回、映画で重要な役目を果たす小道具は、超能力を(おそらくは永遠に)奪い去る薬(キュアと称する)の発明だ。

 この薬液を打ち込まれると、一瞬で超能力を失い普通の人になってしまう。

 猿は樹から落ちても猿だが、政治家は選挙から落ちたらヒト以下だ、などと言われることもあるが、超能力者から能力をとってしまえば、彼のすべてが否定されたに等しいことになってしまうだろう。

 その自信その世界観からその不安にいたるまで、すべてが変わってしまう。


 かつてクロサワが「静かなる決闘」で描いた、世界のミフネ演じる軍医が負傷兵の手術をしている時に誤って指を傷つけ、その結果梅毒に感染した、その瞬間のような恐怖がそこにはあるのだ。

 キュアは超能力者を選びはしない。

 もし、X−MENたちが、彼らが護ろうとするヒトの軍隊からフレンドリィ・ファイヤー(誤射)を受けたら、一瞬で能力を失い、人類のために闘うこともできなくなるのだ。
 これは、激しく弾の飛び交う戦場で、突然、ノーヘル、ノー防弾チョッキの丸腰になってしまうようなものだ。

 なにより、キュアは、超能力者として自立するために闘っていたマグニートの部下たちには最悪の薬だ。

 一瞬でその戦闘能力と共に戦闘意義すら失ってしまうのだから。

 かつてこれほど恐ろしい薬はあっただろうか。

 小室孝太郎の描いた「ワースト」、あるいは最近リメイクされた「Dawn of the Dead」(ゾンビモノ)ですら、ゾンビィに咬まれたら手榴弾を抱いて敵の群れに突入し、華々しくヒトのまま死ねたのだ。

 だが、この薬をうたれた悪の超能力者は、普通の人になるだけだ。
 化け物になるわけではない。
 だから、爆弾を抱いて敵に突っ込むことすらできないのだ。

 かつて、マグニートのため、命をかけて献身的に尽くしていた変幻自在の変身美女ミスティークすら、超能力を失った途端、ヒトに寝返ってべらべらと情報を話始める。



 金門橋を持ち上げる、ド派手な(とも思えなかったが)戦闘シーンより、こういった、ちょっとでもかすったら死ぬより怖い事態が起こるという緊迫感の方が、よっぽど映画を盛り上げたはずなのに、それがあまり効果的には使われていなかったのが残念だ。


 突如、超能力がなくなったX−MENなんて、パンツを脱いだサル以下の情けなさなのだから、そうなるかもしれない戦闘シーンというのは何とも不安で魅力的だったのだが……

 監督が替わったのが原因とも思えない。二作目もツマラナかったから。

 まあ、出演俳優も段々有名かつ偉くなってきたし出演料もかさむ、それやこれやで、今回でシリーズは絶対打ち止め、と宣言するために、エグゼビアを殺しサイクロップスを殺しジーンを殺し、ミスティークと最後にはマグニートも、ただのヒトにしてしまったのだろう。

 その結果、良いところはあるが傑作とはとてもいえない作品になってしまった。

 よくもまあ、原作者が許したものだ。

 余談ながら、闘いには一切参加せず、すべてが終わってからノコノコと薬によって「フツーの女の子」になって帰ってきた、かつての名子役アンナ・パキン演じるローグ(第一作はまさしく彼女を中心にストーリーが進んでいた)にもガマンがならない。

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