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2006年3月 4日 (土)

この世に、残したい 久世光彦急逝


 脚本家の久世光彦(くぜてるひこ)が死んだ。享年70歳。

 日本人男性としては、それほど早い死とはいえないが、できればもう少し長生きして欲しかった。

 そして、あと少し、新しい彼の「小説」が読みたかった。

 テレビドラマでなく、小説を。

 わたしにとって、久世光彦は「寺内勘太郎一家」等、一連のホームドラマの脚本家ではなく鮮やかな色の対比を文章で示してくれる希有な作家なのだ。

 それが如実に示されたのが、「一九三四年冬―乱歩」だった。

 山本周五郎賞受賞(直木賞候補)のこの作品を、最初に読んだ時に、目の前にぱっと原色の赤色が広がったのを今もはっきりと覚えている。

 テレビドラマに関しては、それほど感銘をうけたものは無かったのだが、4日付の毎日新聞朝刊余録を読んで、考えが変わった。


 その「余録」が、彼の作るホームドラマはすべて間取りが同じだったと、本人が告白していたことを伝えている。

「茶の間があって右側は台所で、正面には中庭に面した廊下がある。左に行くと玄関と2階への階段があり、反対方向は浴室、洗面所と決まっている」

 これは、昭和10年代の東京・山の手サラリーマンの典型的な間取りであったらしい。

 久世は、こういった家を舞台にして、脚本家、向田邦子と組み、さまざまなホームドラマを演出していった。

 家の話をもう少し詳しく書くと、

「中庭には痩せた金木犀(キンモクセイ)の木が三本ばかり、裏手に回ると塀沿いに低い八手(ヤツデ)の木が植わっていて……その辺りからツンと鼻をつくドクダミの匂いがしはじめて、少し行くと白い石灰を撒いたご不浄の汲取口がある」

「余録」はさらに続ける。

 その家で使われた言葉は「我慢」ではなく「辛抱」「恥ずかしい」ではなく「きまりが悪い」「いらいらする」ではなく「じれったい」だった。

 飛行機事故で向田邦子が逝った後も、久世が昭和を舞台にしたドラマを作り続けたのは、彼女が愛したそのような言葉を生き返らせたかったからでもあった、と。

 それで思い出した。

 かつて、わたしは池波正太郎のことを、「無くなりつつある美(うま)し風習、江戸文化をカプセル化しようと必死に小説をつづった男」と書いた。

 同じ事を、久世光彦はドラマの演出で行っていたのだ。

 現代は、そういった日本の、無形の美しいものが減りつつある。

 日本人の多くが、グローバル化の美名のもと、諸外国のやることは全て正しいと錯覚し、個人主義という名の独善主義を横行させ、自尊心を失った者が拝金主義に走ったからだ。

 結果、「気持ちよく生きる」ことより、目先の利益にダボハゼのごとく飛びつき、ぶざまに地面に転がることを何度も繰り返す。

 そういった人々に、「我慢」と「辛抱」の違いがわかるだろうか?

 わたしの知る限り、英語にこの適訳はない。つまり、英語文化圏に、こういった微妙にニュアンス違う考えはないのだ。

 久世氏が死んで、またひとり、古き良きものを、少しでも現代に残そうとする使徒がいなくなった。

 あとはもう少し、違う意味で、藤原正彦氏にがんばってもらうしかない。



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