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2006年2月19日 (日)

背筋を伸ばせ! 藤原正彦著「国家の品格」




 子供の頃、祖母からよく言われた言葉で、今も耳に残っているのは
「薬と思って食べなさい」
 だった。

 おかげさまで、食に関して、好き嫌いはほとんどない。

 全ての食物には、毒素と栄養価があり、雑食性の生き物である人間は何でも食べるべきなのだ、と、この言葉は教えているのだと思う。

 昨今、昔から言われている食べ物の組み合わせが、栄養学的にみても、すばらしいものだと再認識されることが多い。

 食の組み合わせなどは、定量分析も定性分析も行えなかった昔の人々が、経験とおそらくは直感で得た知識だが、かなり真理に近いということだ。

 論理ではなく直感。

 本書、「国家の品格」で著者、藤原正彦氏は、西洋「論理至上主義」をばっさりと袈裟懸けに斬り捨てている。

 氏が論拠としている、佐賀鍋島藩由来の武士道「葉隠れ」に関しては、わたしは藤原氏とは少し違う考えを持っているが、それ以外は「我が意を得たり」の意見ばかりだ。

 まるで自分が、寝ている間に無意識に書いたのではないか思うほどだ。

 遅ればせながら紹介すれば、「国家の品格」は、国家論、国民論に分類される新潮新書で税別680円。それほど高いものではない。
 買いやすい。その上薄い。読みやすい。
 講演記録に加筆訂正したものだから当然なのだが。

 こういった内容の書物、1996年に書かれた林秀彦氏の「ジャパン、ザ・ビューティフル」(写真参照)など、同様の日本人賛歌論、チアアップ論は時をおいて間欠的に吹き出してくる。

 昨今の、お国事情に我慢出来なくなった人が一定期間ごとに立ち上がるからだ。

 さて、「国家の品格」。
 論旨自体は「ジャパン、ザ・ビューティフル」とほとんど変わらない。

 違うのは、林氏がテレビのプロデューサーに過ぎないのに対して、藤原氏は、父を、官僚としてあの富士観測所を建て、作家として「八甲田山〜」を書いた新田次郎であり、戦後最大の大感動文学と言われた「流れる星は生きている」の作者である、藤原ていを母に持ち、自身は東京大学理学部数学科修士課程を卒業後、コロラド大学で教鞭を執っていた人物であるという点だ。氏自身、作家でもある。

 わたしも、およそ四半世紀前に、氏がアメリカ留学の体験を記した「若き数学者のアメリカ」を読み熱狂したクチだ。

 「若き〜」は、今でも、青年が海外に出て受けるカルチャーギャップを記した作品としては、高橋三千綱氏の「シスコで語ろう」と双璧をなす作品だと思っている。(本書でも、その時の経験は随所に語られている)

 先年、NHKで放映された「天才の栄光と挫折」では、専門の数学における天才たちの生涯に迫る番組の企画、ホストとしてなかなかの弁舌ぶりも披露していた。

 ともかく藤原氏は、作家として私が好きな人物なのだ。

 それが、ここのところ、月に一度程度、氏が(講演会を除いて)世間に顔を見せる場であるNHK「視点論点」(*)で、過激な日本人論をブチ始めたのを見て、どうしたのだろうと思っているうちに、この「国家の品格」がベストセラーになったという噂を聞いたのだった。

(*)NHK深夜枠番組で、放送時間十分の一方的意見放送番組

 つまり言いたいことは、藤原氏が、こういった対外国(コクサイ社会って言葉は使わないよ嫌いだから)問題に対して、きっちりと発言できる背景を持った人物だということだ。

 理系文系併せ持つ父と、大ベストセラー作家の母を持ち、自身は数学者で作家、その上海外経験も深い。
 その生まれ育ちから貴種といっていい。

 「国家の品格」の論旨自体は、「ジャパン、ザ・ビューティフル」と、そして私の意見とほとんど変わらない。

 だが、著者の、社会に対する影響が違うのだ。

 ひとたび、彼が「風が吹けば桶屋がもうかる」話を、数字を使って否定すれば、もう誰も口出しできなくなる。
 思想とは不思議なものだ。

 発せられる人物の権威によって世間に対する影響力がかわる。

 世間は、中身を(ほとんど)見ずに、後ろ盾を見て物事を判断することが多いからだ。
 ホテルマンが靴をみて人を判断するように。(って本当か?)

 だが、今回は、言い出しっぺが藤原氏であるというからだけでなく、内容が今の日本にこそふさわしいものであるので、権威結構、大いに利用して、オーソリティに弱い日本国民を扇動してもらいたい。

 また、時期も良い。

 かつてドイツが第一次大戦前後、ヨーロッパ世界に経済的な劣等感を持ったあげく(それとて無意味に長引いた戦争の影響なのだが)、過度の劣等感の裏返しとして、超人政権をもとめ、出てきたのがナチス党、ヒトラー政権だった。

 現在の日本も同様、闇雲なアメリカ追従政策に溺れ、経済力だけは、まあなんとかあるが、それも大国中国によって風前の灯火だ。(個人的には中国の快進撃はそろそろ失墜すると思っている。その理由は、貧富の格差が激しすぎること、国がひとつの政府で納めるには大きすぎるからだ)

 そう言った危機感、閉塞感に対する反動が、結果として独裁首相を生み出したが、こういう時期は、「国家の品格」のような尖った(が、しごくまっとうな)意見が必要とされる。


 話はかわるが、今の日本は、品格のない、とりわけ老人が多すぎる。

 彼らを見ると、年を取ったから品格が教養が備わるというものでもなさそうだ。

 わたしの知っている限り、老人たちは皆節度を忘れた醜さに溺れている。

 とりわけ、末っ子で生まれ育ったような人物は、年老いても、やはりそのままの性格だ。人に甘え、少しでも自分が損をしそうになると、過剰反応して過激に反撃する。
 保身が第一。
 家族は守るが、他人はほったらかし、七十近くなってもそういう人物を見ると暗澹たる気持ちになる。
 私を含め、そういった人物に、本当に生きる価値はあるのか?

 ああ、それで思い出した。

 「家族主義」という言葉がある。
 この考えは正しいが、正しく理解している者は少ないように思える。

 家族主義を、単に家族を守ることだけに専念することだと考えると大間違いだ。

 いったい人を守るってなんだ?

 基本的に、他者は人を守れない。おそらくこれは真理だろう。

 学校に送り出した子供に突っ込んでくる車を、親は停めることができない。

 少なくとも人は我が身を自分で守らねばならないのだ。

 それを我々は、往々にして勘違いする。

 自分の手は、他人を守るほど長くない、だからせめて家族だけでも守るのだ、と。

 この考えの恐ろしいことは、一見、正しく見えることだ。

 だが、少し考えるだけで、それが欺瞞であることは、すぐにわかるはずだ。

 人は、一人では生きていけない。もはや生きていけなくなった。
 社会という羊水の中で浮かんで生きることしか我々はできなくなってしまった。

 だがその羊水は、母の体内ほどには安全ではない(母の体内もそれほど安全ではないが)。

 そこで人は考える、せめて家族だけでも自分がバリアを作って守ろうと。

 しかし、それは本来はできないことだ。四六時中家族についていることはできない。

 家族自身の心の問題もある。

 はっきりって、わたしは「家族主義」という言葉が嫌いだ。

 そこに、自分が行うべきことの外枠を決めて、その中だけで義務を果たせばいいや、という安易な逃避を感じるからだ。

 これは言い尽くされた感があるが、本当に家族を守りたかったら、一番良い方法は、まっすぐな自分の背中を見せることだ。

 それが、辛く困難な道ではあるが、いちばんまっとうな道だ。

 「情けはひとのためならず」

 これは、わたしの好きな言葉のひとつだが、この言葉こそが、偏狭な家族主義から人を解き放ってくれると思う。
 ここには仏教の真理がある。

 愛するものを守るためには、まず、世に与えることが必要だろう。
 世の中に与えることで、結局は、世の中が家族に返してくれる。

 これは宗教的な意味でいっているのではない。神秘学でもない。
 もっと実際的なものだ。

 家族主義に凝り固まった者を、世間は助けてはくれない。
 そういった、偏狭な人間を世間は嫌うからだ。

 自分自身だけで対処できることなど多寡がしれている。
 いつかは外部の助けが必要になる。
 その時に世間が、有形無形の援助を返してくれるのだ。
 本当に家族を守りたければ、世の中にまず与えることが必要なのだ。

 そして、子供たち自身。
 汲々として家族を守ることに突っ走る親に、子供は感謝するかもしれないが、同時にまた軽蔑もすることだろう。
 子供は、本質的に潔癖なものだから。

 繰り返すが、家族主義に走るものは本当に家族を守れない。

 家族主義を標榜する者の多くは、薄々、そのことに気づきながら安易な道をとっているだけだ。


 閑話休題

 二ヶ月ほど前の「視点・論点」で藤原氏が述べた言葉がある。

 これは、「国家の品格」に明確には述べられていないが、感銘を受けたので、以下に記しておこう。

「日本はアメリカに追従して、自分の地位と財産を守ろうとしている。あるいはそうすることによって、日本は生き延び、安泰かもしれない。でも、ここで大事なのは、国は『ただ生き延びる』だけではだめだということです。国はただ存在するだけではだめで、問題は『その国に存在する意義があるかどうか』ということです」

 けだし、名言と言えよう。

 人もまた然り。

 わたしなどのように、取るに足らない命でも、生に固執し必死で安楽を求め生き延びようと毎日あがいている。

 だが、人は、ただ生き延びるためだけに生きていては駄目なのだ。

 問題は「その人間に生きている意義があるか」という点にある。

 こういうことを言えば、オタメゴカシの人々は、「人にはすべて個性があり、人の命はすべて地球より重いから存在するだけで意義がある」と言うかも知れない(付け加えて言えば、氏は命の平等をきっぱりと否定している、人の命は地球より軽い、とも)が、いったいあなたとわたしと彼と彼女にどんな違いがあるというのだ?

「人の違いは確かにある、だが、それは卵の殻の表面にあるブツブツ程度の違いに過ぎない。所詮、われわれはみんなタマゴ型なのだ」

 最後に、本文中、特に気に入った言葉を引用しておこう。

「人間にとって最も重要なことの多くは論理では説明できない。(中略)人を殺してはいけないのは、『駄目だから駄目』ということに尽きます。『以上、終わり』です。論理ではありません」

 もうひとつ

「本当に重要なことは、親や先生が幼いうちから押しつけないといけません。たいていの場合説明など不要です。頭ごなしに押しつけてもよい(中略)はじめに何かの基準を与えないと子供としては動きがとれないのです」
 
 これも見識だ。

 自由を与えられすぎて、途方に暮れる子供(大人も)よく見かけるが、彼らは本当に哀れだ。



 私のおすすめ:
イーブックオフ

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