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2006年1月

2006年1月31日 (火)

いつも見ている RSS

 RSSとは、もともと1999年にネットスケープ・コミュニケーションズが開発したWebサイトの見出しや要約などのメタデータを構造化して記述するXMLベースのフォーマットで、主にサイトの更新情報を公開するのに使われている。

 しばらく普及しなかったので、(また)ネットスケープ社が無駄な技術開発をしたことになるのか、と思っていたら、Apple社がPodCastなどで、その技術を応用し始めてから、指定したサイトのRSS情報を取り込んで更新状況をまとめたWebページを生成するアンテナ(巡回)ソフトや、デスクトップに指定したサイトの更新情報を表示するティッカーソフトなどが開発されるようになった。

 今のところ、わたしが利用しているのは、googleのRSSリーダーだ。

   http://reader.goo.ne.jp/ap/

 こいつを使えば、わが「かぶらやブロク」に更新があった時に、たちまち知ることができ、情報に遅れることが無くなる。(それが本当に良いことかどうかは別として)

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失った者が帰ってくる 「黄泉がえり」


 もうずっと前に、この映画が公開されていたのは知っていた。
 主演がSMAPの草薙剛であることも。
 草薙といえば、ホイチョイプロ謹製「メッセンジャー」で、自転車好きの主人公を好演したこともある。

 しかし、映画作品には、アイドル系の人間が主演する映画で「当たり」なのはごく少数という動かしがたい事実がある。

 その上、タイトルが、どう贔屓目に見ても「リング」や「ダブル・ビジョン」等のオカルト・タイプなので、今まで完全に無視して来たのだ。

 それが、今回、DVDで観ることになったのは、書店で「黄泉がえり」の原作を手にしたからだ。
 書棚に目を遣りながら歩いていると「黄泉がえり」という文字が目に付いた。そのまま何気なく視線を降ろして、作者名を見て驚いた。
「梶尾真治」

 カジシンと言えば、「世界はプレイン・ヨーグルト」などでおなじみのSF作家だ。
 しかも、その作風は優しくかつ面白い。オカルトものを書く作家ではない。
 思わず手に取り、著者略歴を見て、彼が1950年代の生まれなのを知った。
 昔、よく読んだ頃のカジシンは、まだ三十代前半で、カバー裏の写真も青年の面影を残していたが、今や彼も五十を越えているのだ。

 まこと、 時の流れは留まることを知らず、行き交う人もまた旅人なり、だなあ、と嘆じつつ購入し読んでみた。

 その後にDVDをレンタルした。

 ひと言で言えば、これは「第二種接近遭遇」に分類される。

 果てしなく長い時間、長い距離を、孤独に宇宙を放浪したエネルギー生命体が、広大すぎる宇宙空間の距離を見誤り、エネルギーを補給できずに、生命力を枯渇し、仮死状態で銀河に流れてくる。

 こういった巨大生命体地球漂着というシチュエーションは昔からある。
 宇宙船ビーグル号やスタートレック、ソウルイーターなどでもおなじみだ。
 梶尾真治もそれらを本歌取りとして、この作品を書いたに違いない。

 だが、そういった、いわば使い古された宇宙人(ヒト型ではないが)とのコンタクトも、カジシンの手にかかればまったく違う形に料理されてしまう。

 彼、いや「それ」は、仮死状態ながらも遠方のエネルギーを関知し、最後の力を振り絞って地球に向かってくる。

 生命体が着陸するのが、カジシンが住み、執筆活動する拠点である熊本県だというのはご愛敬だ。

 ともかく、「それ」は太陽系第三惑星、地球の日本の熊本県の地中にもぐり、エネルギーを吸収しようとしたのだ。

 映画ではほとんど触れられず、原作でも最小限の説明しかされないが、生命体は、どうも地震エネルギーを糧としているらしい。

 やがて、思いもよらなかった事象が起こり始める。

 気の遠くなるほどの時間、宇宙を放浪しながら、「それ」は「他の生命体」と接触したことがなかったのだ。

 熊本県の地下に潜伏した「それ」は、この小さな星の表面に生命体が存在することに気づかぬまま、土中に存在するエネルギーを吸収し続ける。

 「それ」自身、惑星の地表で動き回る知的生命体の影響を受けて、自身の末端物質がなにか別のモノ変化していることに気づいてはいなかった、というより、いつも通り、特別意識しないまま、ある種のセンサー、プローブとして、地表に適応させた形で「それ」は自分を地表に伸し情報を吸収しただけなのだ。

 だが、これを熊本に住む人間の視点から見ると……。

 大切な人を失い、帰って来てくれと、涙を枯らし、のたうちまわる人々の元に、生前の姿そのままに、亡くした愛人が帰って来るということになる。 

 このあたりの設定は、原作のほうが映画より数段上と言わざるを得ない。

 復活した人々は、生前と同じ肉体(死んだ時の年齢)同じ記憶を持ちながら、どこか通常の人間と違う印象を与える。

 それは、ある種の達観、解脱した目線を持つ聖人の感覚だ。

 ここがウマイ。

 生き返った人々は、生前の記憶を持ってはいるものの、その実体は数多くの宇宙の驚異、気の遠くなるような長い年月を、「永遠に生きる者」として過ごしてきた生命体なのだから、多かれ少なかれその影響を受けているのだ。
 その精神が、ほんの僅かなスパンで生き死にを繰り返す、ゴミのようなヒトとは違うのは自明だろう。

 残念ながら、映画では、そこのところが明確に描かれてはいなかったが……。

 やがて、「それ」は、エネルギーのチャージを終え、宇宙に飛び立とうとする。

 しかし!

 いいですか、ここからがカジシンの真骨頂だ。

 自分が惑星を探査させるためのプローブとして出現させた「黄泉がえり」人を通じて、自我を持って以来、初めて他の生命体と接触した「それ」は、いつしか……どういったらよいのか、人間というちっぽけな存在に「愛着」を感じ始めていたのだ。

 「それ」は、自分が旅立った後の熊本に、余った地中エネルギーによって、不可避の巨大地震が発生することを知っていた。

 だから、黄泉がえり人は、事あるごとに、人々に対し避難するように訴えるが、相手にされない。

 やがて、最後に「それ」は、再び宇宙に旅立つことを諦め、いつしか愛し始めた他の知的生命体、ヒトのために、力の限りを尽くして巨大な惑星エネルギーと闘い、光の粒となって散っていく。

 それに伴い、黄泉がえり人も光の粒となり消えていくのだった。

 うーむ、すごいぞカジシン。

 かつて、数光年を散歩気分で闊歩し、数万年を、うたたねで過ごす超生命体に、人間のために命を投げ出させた作家など一人もいはしなかった。

 ガイジン作家には絶対にできない発想だ。

 こういった、拝金主義が横行する現代日本では枯渇した「自己犠牲」が読者に感動を起こさせるのだ。

 このあたり、映画ではいまいちはっきりと描かれていない。
 そこが不満なところだ。

 が、映画版には独特の好さもある。

 少しばかりのトリック、ギミックが仕掛けられているのだ。

 これを「を!」と喜べたら映画も楽しむことができるだろう。

 まあ、軽い読み物として本を読み、観終わって嫌な気分にならない映画を探しているなら「黄泉がえり」おすすめです。



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2006年1月27日 (金)

年間パス入手顛末記



 一週間ほど前、思い立って、ユニヴァーサルスタジオジャパン(以下USJ)の年間パス開園5年謝恩価格(って前に同じ企画をやった時には何といったのだろうか)10,900円を買いに夕方から出かけた。

 仕事柄、ということもないが、遠来の客が多く、彼らの多くがUSJに行きたがるため、パスを買っておいた方が安くつくと思ったからだ。(とはいえ、わたし自身は、今までに一度、付き合いでいったことがあるだけなのだが)

 電車を乗り継ぎ、午後五時過ぎにユニバーサルシティ駅に着くと、ぞろぞろと帰り客の列と遭遇する。

 嫌な予感がしたが、まさか五時に閉園するとも思えないので、そのまま歩を進めた。

 ゲイトに着くと、ガイド嬢に「もう入園はできない」と言われる。

 しかし、1月31日までは、園内でしかパスが買えないということなので、少し強硬に交渉すると、何とか中にいれてもらうことができた。

 指定された場所に行って驚いた。

 長蛇の列ができていたのだ。

 そのほとんどというか、すべてが、一日園内で遊んで、帰りがけに、その日の入園料に五千円ほど追加して年間パスを買おうという客(USJ側もそれを想定しているらしい)らしかった。

 パスを買うためだけに、夕方から出かける酔狂は、わたしだけのようだ。

 元来、並ぶのは大嫌いな質で、並ぶくらいなら行かない方が良いという考えなのだが、せっかく使った交通費をセコくも惜しんで、一時間ほど並んで書類記入を果たした。

 てっきり、そのままパスがもらえるものと思っていたのだが、その日は金を払って書類を出すだけ、パスに貼り付けるための写真撮影は次回来園の時にしてくれと、受付のオネーサンは冷たく言い放つ。

 聞くと、その時も、相当時間並ばないといけないらしい。

 まこと日本人とロシア人は、つくづく並ぶのが好きな国民だ。
 わたしは並んだことはないが、会社勤めの人はラーメン屋ですら行列を作って食べるらしいではないか。

 しかも、申し込んだ日から、一年のカウントは始まっているのだという。

 ということは、閉園後に申し込んだわたしなどは、初めから一日損をしているようなものだ。

 釈然としないまま、その日は帰ったのだが、今日は、気分も新たに、車で写真撮影に出かけてきた。

 天保山を過ぎ、高速をおりてUSJに近づく。

 はじめは、近くの時間貸し私設駐車場に停めるつもりでいたのだが、一度、本家の駐車場を見ておいても良いと思い直して、看板の指示に従って車を進めると、だだっ広い場所に案内された。

 時刻は十時過ぎだが、車の数はわずかで、場内は閑散としている。

 前回、渡された再来園パスを見せると、一日2,000円の料金が1,000円になったが、こんなものなのだろうか。

 ゆっくりと歩いて園内に入ると、すでにパス申し込み所には長蛇の列が出来ていた。

 が、写真撮影のみの旨を告げると、長蛇の列をすっ飛ばして施設内に入れてもらうことができ、さほど待つこともなく写真撮影を終えてパスを手にすることができた。

 昨年、運転免許センターで免許証の更新をした時の印象が強かったため、もっときちんとした写真撮影があると思っていたのだが、事実は、前回渡された書類を二十ばかりならんだ受付の一つに渡すと、係の女性がデータを入力後、有線接続された小型デジカメで、レジ背後の壁をバックに手持ち撮影するだけだった。

 できたパスの写真を見ると、解像度20以下といった感じの、ジャギーだらけのわたしの顔がこちらを睨んでいる。

 本日、書類を受け付けてもらった人は、午前11時半以降に写真撮影に並ぶことになるらしい。
 つまり、入園してすぐにパスのために並び、幼い子供連れで、一時間ほどならんで待った若夫婦は、しばらく園内で時間をつぶして、また写真撮影のためにならぶということだ。

 たしか、ネット購入もできたような気がしたのだが、それを使えばもっとスマートにパスを手に入れることができるのだろうか?

 その後、閉園の5時まで園内をぶらつき、珈琲を飲み、合間に待ち時間平均15分のアトラクションをハシゴした。

 しかし、前に乗った時にも思ったのだが、どうもわたしの目は、一般的な人々と立体感が違うようだ。

 スパイダーマン・ザ・ライドでも、ターミネーター3Dでも、回りの人たちが騒ぐほど映像が立体的に見えないから、さほど感銘を覚えない。

 残念なことに、立体視する時に、左右の画像のズレを感じて、まさに立体!というオドロキが感じられないのだ。

 そのあたりの個人差を修正して、万人にセンスオブワンダーを感じさせるマシンを早く開発してほしい。
 ま、それでもスパイキッズ3Dよりはマシなんですが(と言いながら、わたしはGEOでもらった販促用赤青3Dメガネさえもっている)

 しかし、来るたびに思うのだが(って、まだ二回しか行ってない……)、USJのレストラン・ラインナップは、なんとかならないだろうか。

 あまりにも、若者向けにアレンジされすぎている。

 かろうじて中華とイタリアンレストランぐらいが好みに合うぐらいで、あとはカロリー制限度外視の、油ギトギトディッシュばかりだ。

 まあ、アメリカ気分を味わう場所で、うどんにどんぶり、ミソカツ定食はよくないのかもしれないが、高齢な人々も多く見かけるので、一考の余地はあるように思うのだが。

 あと、メルズは映画と同じにローラースケートを履いたミニスカートの女性がオーダーをとってくれたら嬉しいな。

 メルズと言えば「アメリカン・グラフィティ」、といえば主人公リチャード・ドレイファスの妹の恋人役の『役者』ロン・ハワード、といえば、後の『監督』ロン・ハワードの撮った『バック・ドラフト』と、ユニバーサル内で、話は精妙につながってはいる。

 他に、少し気になったのは、ターミネーター3Dで見かけた、女性にねずみ色の軍服ライクなシャツにネクタイをつけさせていることだ。
 あれは、気持ちが悪いからやめさせてほしいなぁ(ごく個人的な感想だけど)。

 女性がスーツにネクタイ姿をするってのは、何かのCMの影響で流行ったのかもしれないが、それ以外にも、社会的地位を求める女性の勘違いした男性化現象の発現という意味合いがないわけではないように思えるから。

 女性は女性として社会的地位を確立しなければならない(というかして欲しい。してくれるといいな)。

 あるいは、過去から連綿と続いてきた、過った性判断の犠牲になっている潜在的性同一障害者が、一般に思われている以上に多人数存在するということなのだろうか?

 それならば、わたしも認識を新たにせねばならないが。 

 あと場内で気になったのは、前回来たときには無かった「工事用目隠し」のために、見晴らしの良かった園内の池がほとんど見えなかったことだ。

 この春、新設される「なんたらラグーン」の工事のためらしいが、もう少し工夫が欲しいところだ。


 パスを購入するために並んでいるときに、耳に馴染みの曲が聞こえてきた。
 英語歌詞の曲だ。
 しかし、何という曲だったか思いつかない。
 しばらく考えていて、つと気づいた。
 これは「マッハGOGOGO」のテーマだ。

 たしかアメリカでは「Speed Racer」という名で放映されていたはずで、三船剛の決めゼリフの「ゴォ!」という言葉は「Go! SpeedRacer Go!」になっていたというところまでは知っていたが、曲が日本のまんまだとは知らなかった。

 ちなみに「マッハ〜」については、以下のサイト好みです。

http://www.geocities.jp/emit_inc/column/manga/mach.html

(しかし、主人公、三船剛を、影に日向に助けるダンディな覆面レーサー(声もシブかった)の声優が、愛川欣也だと知った時にはショックだったなぁ)

 タイトルをそのまま英訳し”MACH GO GO GO!”だったらおかしいのはわかるが、「Speed Racer」とはちょっとコテコテ過ぎる題名ではないか?

 アニメのタイトルだから、子供にわかりやすいものにしたのだろうが。

 その点、日本のタイトルはなかなかふるっているものが多い。

 例えば、Wacky Raceを「チキチキマシン猛レース」なんてなかなかできませんよ。

 そういえば、ブラック魔王の相棒、ケンケンの本名?はMUTTLEYだった。
  muttは「雑種犬」、蔑称で「犬っころ」の意味があるから、良い子が観るアニメとしては、イヌイヌ=ケンケンで正解なのだろう。

 あ、それから、先日手に入れたD902iで園内の写真を撮りましたので、それもあげておきます。

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2006年1月25日 (水)

電話交換



 たまに使うだけで、今まで携帯電話には、ほとんど興味がなかったが、最近になって、電池がすぐ消耗するようになったので、この機会にマシンを新しくすることにした。

 が、最近のものは、カメラがついたためか、ずいぶんと前の機種(504i)より厚みが増してしまっていて、魅力的なものがほとんどない。
 三菱のものだけが、厚みが19.5mmで、メモリに記録した動画をフル画面で見ることもできるということで、少し気が惹かれた。

 かねがね、出先で動画をみたいとは思っていたのだが、そのためにPSPを買うのもどうかなと躊躇して(昔と違い、ここ何年もゲームなどしたことがないので、ゲーム機を買う必要は感じない)いたからだ。

 しかし、先日、電車で隣に座った男性が、PSPで録画したテレビ番組をみているのを目撃し、それがすごく楽しそうだったので、自分も欲しくなってしまったのだった。
 操作性が、結構良さそうだったこともある。

 しかし、動画を出先で観るためだけにマシンを持ち歩くのもどうかと思う。
 携帯電話なら、持ち歩くのが当たり前だし、ボディサイズも小さい。

 D902iでそれができるなら万々歳だ。

 さらに調べてみると、メモリも、メーカー保証サイズは128メガまでだが、噂では512〜1ギガまで使用可能なようだから、そこそこの時間見続けることができそうだ。(もちろん保証外ではある)

 実際に、ネットから手に入れた動画変換ソフトで、MPEG2を変換すると、かなり短い時間で変換も終わる上、サイズも1時間で100メガほどで、かなり「観ることの出来る」画質だったので、最終的に、D〜に決めたのだった。

 色は、黄色やピンクは構想外だったので、白か黒で迷ったが、PSPであれば白もきれいだとは思うが、携帯電話では、汚れが目立ちそうだったので結局黒にした。


 で、実際に使ってみると、これがまずまず使いやすい。

 デザイン重視のためか、各種ボタンは少々押しにくいが、携帯電話でメールをあまり使わないため、キー操作や変換効率なども度外視できる。

 音楽(変換ソフトが悪いためか、これに関しては、今持っているMP3プレイヤの方が使いやすい)や動画を見ている最中に電話がかかると、その位置でポーズがかかり、電話終了後にワンボタンで復帰することができるのがいい。
 この機能は、特に別売りのイヤホンマイクを使っていると便利だ。

 カメラ部分に関しては、反応速度や操作性を専門のデジタルカメラと比べるのはかわいそうだが、風景など戸外の写り具合は、まずまずというところだ。メモ代わりに使うには充分だろう。

 ただ、あの、手を伸ばして液晶をのぞきながら撮るスタイルは何とかならないものか。

 いつも、そうやって撮っている人々を見るたびに、なんとも間抜けな印象がしてならなかったために、自分がその仲間になって人前で写真を撮る気にはならない。

 しばらくは、家で猫の写真を撮るだけになるだろう。

 色々と自分用に設定したついでに、前の電話でも使っていた、自作曲「アンナプルナ」のMIDIデータを着信メロディにする。

 これまでの電話では、音声データを着信音には使えなかったが、今回から使えるようになったので、念願だった、実写版キューティ・ハニーで佐藤江梨子が使っていたキングギドラの着信音を使うことにする。
 おそらく探せばどこかにあるのだろうが、今回は自分でつくることにする。着ボイスを制作するのだ。

 調べてみると、auなどだと、YAMAHAのサイトで無料ダウンロードができるソフトで簡単にデータをつくることができるようだが、DOCOMOだとそういうわけにもいかない。

 シェアウェアのソフトを以下のサイトからダウンロードして、

  http://www.hundredsoft.jp/wav2mld/

 WAVEをMLDファイルに変換してみた。

 登録していないので、1秒しか変換できないが、怪獣の叫び声ならそれでも結構鑑賞に堪えるため、しばらくこれを使うことにした。


 あと気がついたことは……購入後、1週間だけ無料でみる事が出来るiチャネル。
 待ち受け画面の下に、ニュースのテロップが流れるというだけのものだが、これが結構役に立つから恐ろしい。堀江社長の逮捕も実は私、これで知りました。
 もう少し更新頻度が高く、ニュース内容が多ければ、月額150円は惜しくないと思う。
 マルビルの文字ニュースを見上げるよりも役に立つかもしれない。

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2006年1月21日 (土)

創刊号(のみ)を買え!




 皆さんは「ディアゴスティーニ株式会社」という会社をご存じだろうか?
 おそらく、ほとんどの方はご存じあるまい。
 
 だが、実は、彼らの製品(製本?)を多くの方は本屋で目にされているはずだ。

 本屋の結構目立つところ、おそらくは出入り口からちょっと入ったあたりに、平積みにしておかれているMOOK形式の本。
 中には、百科事典か……と見まごうばかりのかさばるモノもある。

 そのタイトルは「週間 世界の昆虫」「ゴールデン ポップス」「週間 タイタニック」「ドール・ハウス」。

 最近では、「戦艦大和をつくる」や「美空ひばり 心の歌」そして、今回ご紹介しようと思っている「日本の100人」など。

 タイトルを見ても分かるように、アタマに『週間』がつくというのが共通項なだけで、ほとんど関連のない分野を並べているのが凄い。

 あ、『週間』すらつかないものもある。これじゃ全くの出鱈目だ。

 まあ、ウェブサイトは以下だから、詳細はそこでみてもらうとして、

  http://www.deagostini.co.jp/

 あまり意味もないとは思うが、タイプは大きく分けて下の四つがある。

1.「製作モノ」
  これは、タイタニックや戦艦大和などのパーツを、小分けにして毎週付録につけて、最終的には巨大模型ができるというもの。気が長い。
 ネット検索してもらえばれわかるように、かなり多くの人がこれに手を染めているのに驚いてしまう。だが、もっと驚くのは、その中でもかなりの人数がコツコツと作り続けていることだ。
 彼らが一様に口にする不安は、「少しでも本の郵送が遅れたら(彼らの多くは、二週間に一度、二冊分を郵送してもらう方法をとっている。間違っても買い逃さないように)、もう二度と来ないのでは、規格がポシャったのでは、と心配になる」ということだ。

 そりゃそうだろう。八割方完成したタイタニックなり、戦艦大和なりのパーツが、「本社方針の転換のため廃刊」されたらイカれているようなもんだ。

 まあ「ドールズハウス」ものなら単発が多いのであまり困らないかもしれない。


2.ちょっとトリビアっぽい、コアなファンが多い分野。これにも大抵付録がつく。
 
 ex.)「世界の昆虫」「ゴールデン・ポップス」「美空ひばりの歌」
    「鉄道」「Human Body」「ビジュアル 日本の歴史」など。

3.生涯教育を睨んだ趣味の分野

 ex.)「水彩画でかく」「LET'S PC LIFE」「わが家で和食」など。

4.人気テレビシリーズに、オンブにダッコした解説集

 ex.)「隔週刊 Xファイル」「スタートレック ファクトファイル」など。

 実はわたしはこれのスタートレック〜を創刊号から購入し続けている。
 もう百号を越えているから、一冊500円として……五万円以上!
 問題は、いつやめるか、という決心が、なかなかつかない点だ。
 本当に、もう辞めよう。

 しかし、今更辞めたら、今まで揃えたコレクションが無駄になりそうで……。

 ……本筋から外れました。

 つまり、何が言いたいかというと、まず、写真の値段を見て欲しいのです。
 なんと、190円。
 でも次回からは一冊500円になります。
 「タイタニック」も創刊号は300円ほどでした。でも二号からは、なんと1500円!

 この、コドモでもわかるあからさまな戦略はどうでしょう。
 創刊号を安くして、ダボハゼのように食いつかせ、後にモトをとる。

 だからこそ!
 そう、声を大にして、わたしは言いたい。

 だからこそ、余人は知らず、わたしは、そんな愚かな誘いには乗らない、ということを広く天下国家に示すために、タイトルにあるように、創刊号だけを買って、二号以降は買わないのです。

 すでに、その時点でテキの術中にはまっているという気もしますが……まあ良いでしょう。
 という方針の下、かなり多くの創刊号を買っています。
 さすがに「ゴールデンポップス」だの「「LET'S PC LIFE」は買いませんが。(ポップスも、バグルスの「ラジオスターの悲劇」なんかが入ってると買ってしまうかも知れないけど)

 さて、今回ご紹介するのは、「日本の100人」シリーズ。

 写真でもお分かりのように、創刊号は織田信長。

 信長といえば、この間まで、朝日新聞に連載されていた、佐藤賢一の「おんな信長」は結構面白かったので、一冊にまとめられたら購入するつもりです。
  (佐藤賢一については、「小説カテゴリ」で、「王妃の離婚」について書く予定)

 さて皆さん、いったい、日本の100人って誰が入っていると思います?
 もちろん、あなたもわたしも入っちゃいない。

 おもむろに本を取り、数ページ繰ってみると、まず目に飛び込んでくる名前、をを「卑弥呼」
 これは、仕方ないな。

 その他、

 坂上田村麻呂、紫式部、北条政子、後鳥羽上皇、

 ずっと下って、

 武田信玄、松尾ばななじゃなくて芭蕉、徳川吉宗、勝海舟、岩崎弥太郎、板垣しすともバキ続く、じゃない板垣退助、津田塾大の津田梅子、高橋是清、

 これは外せぬ東条英機、日本のシンドラー杉原千畝……

 あれ、手塚治虫?力道山?石原裕次郎?なんだかおかしいぞ。

 黒澤明があるのに、世界のオヅがない。

 確かにテヅカは好きだし、偉大だと思うが、日本の100人なのか?
 だったら、東海林サダオは外すわけにはいかないはずだ。

 といった、どういう選択基準なのかよくわからない日本の100人。

 今なら本屋で190円で売ってます……って、アフィリエイトプログラム並だな。

 いや、買わなくていいから、手にとって選ばれた100人を確認すると面白いかも知れないということです。

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