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2005年12月

2005年12月23日 (金)

人工無能「志乃ちゃん」登場

 仕事がらみで、ネット上のCGI関連サイトを探していたら、PERLで書かれた「人工無能」を見つけた。

 これは、知る人ぞ知る、って、今ではほとんどいないかもしれないが、8bitパソコンが全盛の頃に、BASIC(もちろんN88程度)やFBASIC、あるいはFORTRUNやPASCALで書かれていた似而非(エセ)人工知能、マガイモノの疑似人格プログラムだ。

 たしか当時は「人工無能 このみちゃん」だったかな?

 適当な質問を、ユーザーに投げかけ、人間からの反応を受けて、「〜ってなに?」と再度質問し、その答えを、最初の言葉と関連づけて記憶する。

 そして、次にその単語が使われたら、「〜って‥‥のことよね」などと切り返す訳だ。

 例を挙げれば、
「おろかものめ」と人間が打てば、「おろかものってなに?」と尋ねてくる。
「晴れた日に傘をさして歩く人」と応えてやると、「ふうん、おろかものって、晴れた日に傘をさして歩く人なんだ」と覚え、次から「おろかもの」と打ち込むと、「晴れた日に傘をさして歩く人ね」と、すぐさま応える。
 あたかも、知能があるかのように。

 とまあ、ほとんどが人間の側の思いこみで成り立つ会話なんだが、これでおもしろいのは、教育する(会話する)人間のタイプによって、このみちゃんは、鉄道オタクにも、アニメオタクにも、技術フェチにもなることだ。(アルイハ、エロショウジョニモナル)

 というわけで、それを、チャットに組み込んで、人とのチャットにからんでくるCGIにしたものを見つけたのだった。

 いくつか手を加えて、使いやすくしたものを公開するので、興味のある方は、ちょっと教育してやってください。

 名前は「志乃ちゃん」という。

 ちなみに、言葉を教える時は、間に半角の「=」を三つ重ねて、

「教える単語」===「応える言葉」

のように書いて、チャットに打ち込んでほしい。

 たとえば、先の例で言えば、

おろかもの===晴れた日に傘をさして歩く人

という具合にだ。

 むろん、チャットCGIであるから、友人同士で同時にアクセスすれば、志乃を巻き込んだ、バトルロイヤル(誰だ?バトルロワイヤルなんてキザなこと言うのは?きっとそいういう奴って、プディングっていうんだろうな。竹下景子みたいに)チャットが可能だし、その際には、志乃を黙らせることもできる。

 お試しは以下で。チャットをするときは、URLやメールは入力しなくてもかまわない。
 自分の名前を適当に決めて、入室してほしい。

http://homepage3.nifty.com/kabulaya/

 あ、同時に、一匹の猫をみんなで可愛がって、誰が一番好かれるかを競うCGIも仕込んでおきました。
 これも試してやってください。ただし、一度世話をしたら、あと一時間は、ちょっかいを出せません。

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2005年12月19日 (月)

変容は、恐ろしい。BLOOD+



 子供の頃、わたしが酷く恐ろしいと感じた物語が二つある。

 一つはジョルジュ・ランジュラン原作の映画「蠅男の恐怖」であり、もうひとつは小室孝太郎のコミック「ワースト」だ。

 「蠅男の恐怖」の方は、八十年代にデビッド・クローネンバーグの手で「フライ」としてリメイクされ、さらに恐怖感がパワーアップしたが、オリジナルとリメイクでは恐怖の質が違う。

 どちらも、予測できない事故でヒトがバケモノに変わり、そのスペシャルF/Xが秀抜であることで、恐怖感が倍増されるという点では同じだ。
 その結果、出来すぎた特撮がクローズアップされ、ともにレンタルビデオ店ではホラー・ムービーに分類されることとなった。

 だが、この二作品の恐怖の本質は、そこにはない。

 オリジナル版では、温厚で紳士的な天才博士が事故で蠅と合体し、徐々に生存本能のみで生きる蠅に意識を乗っ取られて凶暴になっていく課程を、妻の目から語っていた。

 この変化が、頭部が蠅になっているという、見た目の恐ろしさ以上の恐怖感を見る者に起こさせるのだ。

 かつて愛した、優しく穏やかな夫が、徐々に凶暴になっていく。これこそが、本当の変身で、恐怖の源だ。
 もし見かけだけがバケモノになったとしても、中身が変わらなければ、そこには真の恐怖は少ない。

 一方、リメイク版では、遺伝子が蠅とハイブリッドされ、日が経つにつれて、おぞましい生き物に変わっていく過程を描いていた。
 自分の体内で何かが変わっていく。
 だが、それを止めることはできない。無力感ゆえの恐怖。この感覚には病気に通じる恐怖がある。

 例えば、癌を告知された夜に風呂に入るとする。
 じっと手を見ても、昔と変化は無い。
 いったい、どこが違うというのだ。
 だが、その体内では確実に、「死に至る病」(もちろん、最近は確実ではないが。しかし放置するばそうなるという点で、死に至る病であることにかわりはない)が、進行しているのだ。
 この、立っている地面が、急速に堅固さを失ってゼリー状になるような感覚が共感できる者には、「フライ」はとびきりの恐怖映画となるだろう。
 これはいわば、自らの止めることのできない変容に対する恐怖だ。


 そして、小室孝太郎の「ワースト」。
 手塚治虫に似た柔らかい絵柄でつづられるストーリーは、ひとことで言ってしまえば、リビング・デッドものだ。
 創刊一周年の少年ジャンプに連載されていたらしいが、不幸にしてわたしは、それを直に読んではいない。朝日ソノラマ全四巻のコミックとして一気に読んだのだった。しかし、その時のショックは今も忘れない。

 特に恐ろしかったのは、両親が雨にうたれ発熱して死んだ後(ワーストは世界規模で一斉に降った雨で発生するのだ)、ワーストとして甦るのを主人公が見守るところだ。
 うめき声を上げていた父と母が静かになり、死んだことがわかっても、子供故に側を離れずに死体の横で寝ていると、死体の皮膚が堅くなり、やがて罅が入って、中から蝙蝠ににた、おぞましい姿のワーストが現れ、彼を襲い始めるのだ。

 つまり、人の「突然の変容」というのが恐怖の源だ。

 このあたり、かつて花のように優しく愛らしく笑っていた恋人が、ある日突然、冷たい横顔を見せて別れ話を切り出す恐怖と似ているかもしれない。


 ワーストについて言えば、それ以外にもワーストに噛まれたものは、ワーストになることから、闘いの最中(さなか)に傷を負った仲間が、手榴弾を胸に敵陣に突っ込んで自殺するシーンなどもあり、これも恐ろしい。
 このあたりは最近リメイクされた「ドーン オブ ザ デッド」などに一脈通じるものがある。
 これは、先に書いた病気と同じで、自身の体を自分でコントロールできない恐怖、ということになるだろうか。


 また、前置きが長くなった。
 つまり、余人は知らず、わたしにとっての恐怖、とは、人が変質、変容してしまうこと、自分の体が自分のコントロールを離れてしまうことだといいたかったのだ。

 そして、今放映中のアニメーション「BLOOD+」も、人が変質、変容する話だ。
 ひと言でいえば、吸血鬼ものだな。

 わたしは、この番組をかなり遅れて観始めた。

 なぜなら、このシリーズの元になった映画版「BLOOD」が、まるで面白くなかったからだ。
 この映画に感銘を受けて、タランティーノが、キルビルで、セーラー服に日本刀の殺し屋を登場させたなどとは信じられない。もしかしたら、映画版は、工藤夕貴がすべて英語でしゃべっていたから、アメリカ人のタランティーノにとってわかりやすかっただけなのかもしれない。

 では、なぜ「BLOOD+」を見始めたかというと、親戚に不幸ごとがあった際、久しぶりに会った従兄弟(いとこ)に勧められたからだ。

 お互いイイ年をしてアニメじゃないよな、と笑いつつ、彼が気になる作品だと言ったのが、このBLOOD+だった。

 そこで、折良く、CSで四話遅れの放送が始まったこともあり、観始めたのだった。
 このCSが少し遅れて放送してくれる、というのがありがたい。「交響詩篇エウレカ・セブン」もそのおかげでフルトレースできている。

 彼がなぜ勧めたかといえば、それはBLOOD+が正しくBLOODが武器になるストーリーだったからだ。
 観始めて、すぐに彼が何を言いたいかがわかった。

 ヴァンパイアを退治する話だけなら「D」を読めばいい。
 文章は下手だが、アイデアとイマジネーションは豊富な菊池氏が、多くのストーリィを書いているのだから。
 だから、退治する側が、主人公が、すぐに死んではいけないという(作者の)理由で、ヴァンパイアの不死身性と強さを付与されているだけの話(映画BLOODが正にそれだった。おまけに「人狼」同様、押井好みの学生運動華やかなりし頃の饐(す)えた四畳半革命論プンプンの雰囲気の作品だ)なら、今更描く必要などない。

 しかし、BLOOD+には、隠れギミックがある。主人公の血が、敵の毒になるという、正しくBLOODというタイトルにふさわしいギミックが。

 さらに、映画に無くて「+」にある工夫は、主人公、小夜に「仕える者」ハジを配したことだろう。
 これはうまいやりかただ。

 およそ、女に生まれて傅(かしず)かれることを厭い、男に生まれて命を賭して仕える(男であろうと女であろうと、その価値がある人物に)ことを望まぬ者があろうか?
 もし、生涯をエースで四番、卓犖不軌(たくらくふき)で過ごしたい考えている者がいるとするなら、それは人生を知らないオトナコドモか狂人、あるいは人類に対する危険人物に違いない。

 だから、BLOOD+を観て、女は佐夜に、男はハジに自己投影して楽しむこともできる。
 意識するしないに関わらず、そうして番組を観る人々は存在し、結果、それが人気を呼ぶことにもなるだろう。


 「BLOOD+」は音楽も良い。

 オープニング、エンディングは、歌詞が例によって歌手の手によるもので、他の項目で何度も書いたように、ほとんど詩になってない駄作だが、劇中に流れる曲、そして予告時に流れる曲は、スタイリッシュでヒロイックで最高だ。

 ん、しかし、このドラムスの使い方、聴いたことが……そう思って、タイトルロールをみて驚いた。
 何気なくハンス・ツインマー(英語読みだとジマーになるらしいな)の名がクレジットされている!
 かつて、あの「料理の鉄人」に使われた映画「バック・ドラフト」の作曲者、いや、さらにかつては、英国バンド、バグルスの一員として「ラジオ・スターの悲劇」で、世界的大ヒット(もちろん日本でも)飛ばしながら、それに飽きたらず、ハリウッドに渡って成功したツインマーが。
 んな、コバルト爆弾で胡桃を割るようなことしなくてもいいのに。うれしいけど。

 というわけで、今のところ、イイ感じの「BLOOD+」もう少し様子を見ながら楽しませてもらおう。

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2005年12月17日 (土)

かめくん 『空想科学超日常小説』


 オークションで、かねてよりの懸案事項であった「かめくん入手」を果たすことができた。しかも、二冊も。

 前の持ち主が間違って重複入手してしまったため、他の本と同時に出品したということだったが、少々合点がいかない。

 別々に出せば、より多くの人が「かめくん」を楽しむことができるのに、よほど北野勇作を嫌っているのか?
 あるいは、二度買いしてしまったことで、八つ当たりに嫌いになってしまったのか。


 それはさておき「かめくん」

 著者、北野勇作に関しては、世間に数多存在するホラー作家のひとり、という認識しかなかった。

 理由は、角川ホラー文庫にその名前を見たからだが、斜め読みした感触からいっても不条理系ホラー作家という感じだった。

 しかし、友人にかめくんを紹介され、借りて読んでみると……

 うららかで、ぼんやりしていて、純情で、とぼけていて、そしてひどく悲しい話だった。

 一度読み、二度読み、三度読み、そして自分のものとして手元に置きたいと思うようになった。
 つまり、イカれてしまったのだな。

 著者の北野勇作は、92年に第四回ファンタジーノベル大賞受賞「昔、火星のあった場所」でデビュウした。

 そして、今回のかめくん。

 帯に記載された惹句によると、近未来の関西を舞台にした『空想科学超日常小説』だ。

 かめくんは、イラストにあるような亀から作られたサイボーグだ。

 そのトボけたスタイルに似合わず、正体は木星付近の宇宙空間で人類が生み出したザリガニ生物と闘うカメ型ヒューマノイド「レプリカメ」で、戦闘のプロフェッショナルなのだ。

 戦争は永遠には続かない。

 戦闘が一段落した結果、余剰戦力として、その能力、記憶を封印されたまま、大阪の街に放出されたレプリカメたちは、各自が自分で生活を始める。

 小説世界において、レプリカメの存在は、しごく普通に認知されているらしく、かめくんも、一般人のように、生活のためにクラゲ荘という木造二階建てのアパートに住みアルバイトをして生計をたてる。

 不動産屋に紹介されてアパートに来たかめくんを見て、管理人のお婆さんは、「なんだカメかい」とぼそりと呟く。
 このあたり、老人がガイジン(これ、差別語らしいなぁ)相手にとる態度に似通ったものを感じる。(めずらしくもないし、特に危ないとも思わないが、ちょっと躊躇するってやつ)

 が、この婆さんは、特に警戒も拒否することもなく入居を許可するのだった。

 このあたりの感覚がおもしろい。

 レプリカメは、戦闘用サイボーグなのだ。言ってみれば全身凶器(梶原一騎じゃないけど)。
 いくら、武器システムがソフト的に封印されているといっても、疑似自我を持つがゆえに、夢などを見て武器が暴発するとも限らない。

 それに、今は記憶を封印され、のほほんボーのかめくんも、かつては残酷非常な戦闘に身を置き多くの仲間のレプリカメの死を目にした歴戦の兵士なのだ。
 時折、アルバイト先で、仕事中にその凶暴さの片鱗を垣間見せることがある。

 そんな危険な生き物が、すぐ近くに野放しにされていても平気なのが、北野勇作が描く関西だ。
 ものに動じない。
 あるいはそれは、兵庫県出身の著者が大阪に対して感じる、カオス感が原因かもしれない。

 ごく普通の日常生活を過ごしながら、勤め先で、行きつけの図書館で、かめくんは人間(かめ)?関係を築いていく。

 クローン亀をベースにしているかめくんは、食事もとる。
 かめくんは、安くて量の多い「パンの耳」をよく買う。

 そして、
『風の強い土手を歩きながら、ときどき紙袋に手を突っ込んで、パンの耳をはぐはぐ食べる(原文ママ)』
 のだ。

 わたしが一番好きなシーンは、かめくんが、野良猫に餌をやり、一緒に生活を始めるところだ。

 にくきゅう、とワープロに打ち込み、イッパツで「肉球」と変換されることに喜びを感じるかめくん。

 その行為に、徐々に人らしく自己プログラムされていく、かめくんのAIが見え隠れする。

 かめくんに布団はいらない。レプリカメだから風邪もひかない。でも、かめくんは、布団にもぐり込むという感覚が好きで布団を頭から被って寝る。
 テレビの上でそれを見ていた猫は、すぐに布団に入ってくる。

『そして、甲羅の中に潜り込もうと試みているかのように、首のあたりにぎゅうぎゅうと押しつけてくる。隙間無くぴたりと体をつけてくる。そしてぶうぶうごろごろ音を出すのだ。(原文ママ)』

 が、発情期になると、猫はあっさりとかめくんを見限って出て行ってしまう。

 かめくんは猫を追わない。
 愛する者を追う、という我執がプログラムされていないのだ。

 そうして、ほんの束の間、にぎやかだったかめくんのアパートの一室は、またさびしく殺風景な部屋に戻ってしまうのだった。


 このような、現在とほとんど変わらぬ日常に、非日常のレプリカメが暮らすというギャップを描いているのが小説「かめくん」なのだ。

 だが、著者の略歴が示す甲南大学物理学部応用物理学科卒の学士の称号あやまたず、「かめくん」は、ドラエモン的な単なるノホホン・ストーリーではない。

 レプリカメの甲羅は、薄いシリコンの層とセラミックの層が、何重にも積み重なって出来ている。そのふたつの層は、結晶のように年々成長し、それが、そのままメモリー増加となる。
 つまり、年輪のごとく年を経るごとにメモリーが増えていくのだ。

 さらに、読書が好きなかめくんが、図書館で知り合った司法書士の女性の実験につきあって、甲羅メモリーの解析を続けるうち、ロックされていた記憶が解放され、かめくんの自我は危険なほど拡大し続ける。

 かけられていた、メモリー・プロテクトも外れ始める。

 「かめくん」は、その見かけの柔らかさにもよらず、ハードSFなのだ。

 そして終章。

 再び戦闘に、おそらく戻らぬ最後の闘いに赴くことになったかめくんは、大阪の街で得た記憶を残すために貰い物のワープロをたたき始める。

 かたかた、かた、かたかたかた、かたかた。

 何かに自分の経験、自分のこと、存在を残しておきたいと考えるのは自我の現れだ。

 制作者たち(亀のメーカーで、カメーカーと呼ばれる)は、市井で日常生活させるために、仮に付与していたレプリカメの自我を消去して、かめくんを戦闘マシンにセットアップするだろう。
 そのことを、うすうす感じたかめくんは、文句をいうでもなく、ただ淡々と、思ったこと、感じたこと、経験したことを、亀の甲羅に似たデザインのワープロに詰め込んでいくのだった。

 読後、ラスト10行を書くために、北野勇作はこの長い話を書いていたのではないか、と思った。

 ぷつり、と切られた感じの文章は、多分にヘミングウェイ的で「武器よさらば」や「心が二つある大きな川」を彷彿させるが、その分、途中の、ややもっちゃりした擬音語多用の表現との対比が印象に残る。


 かめくんは2001年度ベストSFに選ばれた。

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2005年12月15日 (木)

スターリングが家にやってきた




 学研が発売している「大人の科学」が、その記事よりも付録がメインであるのは、子供の頃、学校の休み時間に購入していた(しかし、よく許可されてたなぁ)「科学と学習」と同様なのだが、問題は、その大事な付録が、号によってあたりハズレがあるということだ。

 人によって興味対象が違うから、いつも自分が好きな分野の付録は付かない、と言ってしまえばそれまでなのだが、そう言ってしまうにはあまりにも大きなギャップのように思えてならない。
 あからさまに、ギャップが大きすぎると、何かしらの陰謀を感じてしまう。

 たとえば、記念すべき第1号は「ポンポンジェット船」。
 まあこれは昔、夜店で売っていた、蒸気式ポンポン船だから、わたしは買いました。(ポンポン船って、結構人気があるのだろうか、今では無印にも置いてある)

 2号「探偵スパイセット」
 3号「ピンホールカメラ現像セット」
 まあ、このあたりまでは、まだ良かった。買いました。

 4号「ゲルマニウム・ラジオ・キット」
 このあたりから怪しくなってくる。イマドキ、エナメル線を巻いたアンテナで中波ラジオを聞きたがる人っているのかな?買いません。

 5号「ロバート・フック式顕微鏡&プランクトン飼育セット」
 はーい、プラスティック製の、ちゃちな顕微鏡欲しい人、誰かいますかー?
 はい、いませんね。
 これは、「&」以下のプランクトン、つまり昔はシーモンキーと呼ばれた生き物飼育がメインだと思うけど、ミリキないなあ。
 実際に購入した人の意見は、以下のサイトで。
  http://homepage3.nifty.com/yamaca/zakki2/smn1.html
 もちろん、買いません。 

6号「レコード盤録再蓄音機」7号「蒸気エンジン自動車」8号「棒テンプ式 機械時計」と立て続けに、科学マインドを刺激されない付録ばかりが続いて……買いません。

 で、先号(9号)は家庭で楽しめる全天ピンホール式プラネタリウムだったが、これはすごかった。

 素晴らしい。

 部屋を暗くして、スイッチを入れた途端に、見慣れた部屋が一瞬で宇宙空間に……というのは言い過ぎかも知れないが、それぐらいインパクトのある、グッジョブ商品だったのだ。
 結果、発売後すぐに完売し、製作依頼した中国工場の体勢がなかなか整わなかったこともあって、初版で手に入れることができず、所有者の話を聞いて切歯扼腕していた大人コドモがしびれを切らしてセガトイ版プラネタリウム(二万円)に手を出してしまったりするうちに、ついに、数日前あたりから、増刷分が店頭に並び始めたのだった。

 近くの書店で、5号〜8号がいつまでもバックナンバーとして売られているのとは大違いだ。

 そして12月15日、つまり本日は10号の発売日で、その付録は「手のひらの熱で回るスターリング・エンジン」なのだ。

 これこそ、9号の次号付録で見て以来、一日千秋の思いで待ちこがれたブツだった。

 詳細はこちら
  http://shop.gakken.co.jp/otonanokagaku/magazine/

 スターリング・エンジン自体は、学研から一万円程度で、ちゃんとした商品が出ているが、これはオーソドックスに、アルコールランプでエンジンを加熱するようになっていて、あまり遊び心が感じられない。
 値もそこそこするし、買ったところで飾っておく場所もない、と、わたし自身も購入を見合わせていたのだった。

 が、10号の付録は、写真を見ても分かるように丸い基部の上に、扇風機のように透明な円盤が載っているだけだ。

 手にとって、ぱらぱらと中身を見ると、基部を手のひらで持って暖め、円盤を軽く回してきっかけをつくってやると、止まることなく円盤が回り続けるのだという。(実際には基部の上に氷を乗せて温度差をつくってやるらしい)

 あるいは、コーヒーカップの上に置く、カップラーメンの蒸らし時間に蓋の上に置くだけで、エンジンが回り出すのだそうだ。

 これはいい。

 そう思うと、すぐさまレジに向かい、財布を出すのももどかしく、即買いして家に戻ったのだった。

 購入後、すぐに家に帰り箱を取り出した。
 蓋の部分に「家に帰ってから開けましょう」と書いてある(写真参照)のが、学校で科学と学習を購入した者にとって郷愁を感じさせる。

 開封する。(写真参照)なかなかに細かい部品が揃っている。
 組み立ても、それほど簡単では無いので、完成させられない人も出てくるのでは、と心配になる。

 いや、冗談ではない。
 なにせ、同じ学研の、からくりシリーズで販売されている「茶運び人形」は、初めキットで発売して、あまり売れ行きが伸びなかったのに、少し値段を上げて、完成版を発売したら飛ぶように売れたというのだから。

 本を見ながら組み立てること二十分。
 なんとか完成しました。
 ピストンの上死点と下死点を調整して、熱い珈琲を入れ、カップの上に置いてきっかけをつけてやると――動いた!

 回転は、それほど速くは無いが、円盤は止まらず動き続けている。

 うーむ、これは面白い。

 高熱を伴わず、また内燃機関でもないスターリングエンジンは、その馬力の弱さから、19世紀にスチームエンジン、ガソリンエンジンによって駆逐されてしまったが、エコロジーが叫ばれる昨今なら、復権できる可能性があるかもしれない。

 値段は2100円。今なら、横にプラネタリウム(2200円)も山積みされているはずなので、セットでご購入することをお勧めする。

P.S.
 んがぁ、来号の紹介を見てコケた。ニュートンの反射望遠鏡だって。誰か欲しい?そんなの。

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食料を届けよ、いのちを救え!


 先日、久しぶりにコンピュータ雑誌を買うと、フリー・ゲーム「WFP FOOD・FORCE」の紹介が載っていた。

 WFPについては、サイトから引用させてもらうと、

「 WFP 国連世界食糧計画は国連唯一の食糧援助機関であり、かつ世界最大の人道援助機関です。飢餓と貧困の撲滅を使命として1961年に設立が決定され、1963年から正式に活動を始めました。ローマに本部を置き、世界各地に現地事務所を設けています」

 つまり、国連の機関ということだ。

 そのWFPが、自分たちの活動PRを目的に作ったのが、ゲーム「FOOD FOECE」なのだ。

 さっそく、コナミのサイトからダウンロードしてプレイしてみた。

 結論から言うと、これがなかなか面白かった。

 ゲームは大きく分けて、六つのステージから構成されていて、各ステージごとに、CGを使った説明とゲーム内容とで、WFPの活動を理解するようになっている。

 あるステージでは、配給する食糧の配合を行い、別なステージでは飛行機から物資を投下する。

 ゲームはマウス操作をメインにしたものが多く、かなり難易度は低いが、ゲーム・バランスは悪くなく、ゲーム慣れした人は、そこそこ楽しめ、ゲームになじまない人でも簡単にクリアできるようになっている。

 日本語化をコナミが行っただけで、元々のソフト本体が外国産であることを考えれば、国連もなかなか頑張っていると言って良いだろう。

 子供向けバージョンもあるので、生き物の基本は、遊ぶことでも、ベンキョーすることでもなく、「食べること」であると、好き嫌いのある子供に理解させるために、プレイさせても良いかもしれない。

 各ステージで獲得した得点の合計点が、そのミッションの総得点となり、インターネットを通じて、サイトに登録することができる。

 つまり、世界各国の同好の士たちと競うことができるのだ。

 しかしながら、個人的には、マリオゴルフの昔から、ネットによる得点競争には何か胡散臭いものを感じてしまうので、真剣にトップを目指すのは辞めた方が良いと思う。

 ソフトは、以下のサイトでダウンロードできる。

   http://www.foodforce.konami.jp/

 サイズは240メガバイトあるが、ブロードバンド時代の今なら多分問題ないだろう。

 HDは……それくらいの余裕はあるはずだ。

 どうか、お試しあれ。

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見たぞ!XBOX 360


 本日、マイクロソフト社謹製 XBOX360の現物を初めて目にした。

 で、最初の感想は、「で、でかい……」

 上の写真のデカさぐらい、デカいって印象だった。

 サイズ等、スペックをちゃんと確認していた訳ではないが、散見する写真から考えて、もっとコンパクトだと思っていたのだった。

 デザインからすると、ちょっとAPPLEっぽいし、だったら、ぐっと小さくなると考えてしまったのが間違いのもとだった。

 しかし、なんであんなに大きいのだろう。

 だって、中に入っているのはたかだか2.5インチのHDでしょう。しかも、たった(カタログには大容量と謳っているが)20ギガバイトの。

 中身は、きっとスカスカなんだろうなあ。あるいは基盤の設計ミスで、ジャンパ線飛びまくった上に、コンデンサなんかがギチギチに入ってたりして。

 やっぱり、小さくする技術力の無い会社なんだなあ。
 X−BOXが発売された時に、「所詮はソフトウェアの会社、せいぜい作っても、ジョイスティックやキーボード、マウスどまりの技術力で、SONYやNINTENDOに楯突くのは無理」と揶揄されただけのことはある。

と、思って、置かれてあった冊子を持ち帰ると……なんと発売未定ながら、トゥーム・レイダー最新版がラインナップされているじゃないの!

 うーむ。誰かが本体を買って、TRを手に入れたらプレイさせてもらおう。

 って、多分、知り合いは誰も買わないな。

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