« 収斂せよ、しからずんば……「モンスター」浦沢直樹 | トップページ | podcasting »

2005年10月22日 (土)

〜夢のモダン生活〜 ぼくの伯父さん


 なんだか疲れた気分になると、この映画を観る。そうすれば気持ちが穏やかになる。

 あの、世知辛く、せせこましく、自分勝手で無責任、風呂にもあまり入らない不衛生な連中が闊歩するおフランス映画を観ることで精神が落ち着くのだ。

 なんともお恥ずかしい話だが事実だ。

 しかし、ひとこと言わせてもらうと、「ぼくの伯父さん」は、他のフランスモノとはちょっと違うのだ。

 まず色彩がいい。

 明るく鮮やかで美しい画面を見ていると、それだけで気分がよくなる。

 音楽もいい。ノスタルジックで、それでいて、いつまでも飽がこきない。

 それは、ひとえに監督、主演のジャック・タチの力量、センスによるものだ。

 センスがいいから、公開五十年になろうという映画でありながら、「オシャレ」映画として、若い女性雑誌などでも取り上げられる。

 だが、この映画は、ただのオシャレ映画ではない。

 そういう切り口だけで観るのはもったいない。

 「ぼくの伯父さん」を観ていると、まだ「未来」とは程遠い生活をしていながら、「未来」への渇望が激しすぎて、「未来的なモノ」へと突っ走ってしまったピンボケな悲しさを感じる。

 もちろん、それはピンボケではあるが、気持ちは充分共感できる。
 

 日本でも同様のことがあった。

 1970年の大阪万博がそうだ。

 会場の外の実生活では、斜めにかしいで屋根のトタンを石の重しで抑えているような木造の建物がひしめき、駅のホームでは昔懐かしい(かな)タンツボがまだ設置されている時代であったのに、一歩会場に足を踏み入れれば、そこには背伸びした未来社会が存在していた。

「ぼくの伯父さん」も、そんな映画だ。

 会社重役を父に持つ「僕」の家は、新築の未来指向のモダン・ハウスだ。

 しかしながら、根がケチなフランス人気質がどうしても顔を出し、庭の噴水は、客が来るときだけ栓を捻って吹き上げさせるので、来客が来るたびにママは大忙し。

 もっとも、これはフランス特有の「セツヤク」精神の現れに過ぎないのかもしれないな。

 実際にフランスの安宿では、今でも、人がいないと廊下の電気を消すし、トイレの明かりは個室に入って鍵をかければ初めて点くシステムになっているから。


 かたや、「ぼく」の伯父さん(漢字でわかるようにママの兄)は、昔ながらの(しかし、それでいて、今見てもモダンでハイセンスな)古いビルの三階に住んで、定職はないが、近所の連中と和気藹々、のびのびとラヴィアン・ローズ(バラ色の人生)を楽しんでいる。

 この、「モダン・ライフ」と「オールド・ファッション・ライフ」の対比がこの映画の味だ。


 見ていて胸が締め付けられるように感じるのは、「僕」が近所の悪ガキたちと、いたずらをする場面だ。

 古い町並み、そのすぐ横には、昔、確かに日本にもあった、子供にとっての万能スペースである空き地が広がっている。

 そこに、あれはなんだろう、いまでいう「チュロス」のようなものをつくって、子供相手に商売をする屋台の男がいるのだ。

 この男がなかなか良い。

 悪ガキたちが、隙あらば万引きをしようとするのを防ぎつつ、友だち同士のセコい賭で友だちから巻き上げた金で、食べ物を買いに来る子供には、金の出所を気にせず、どんどんオヤツを売りまくる……


 「ぼくの伯父さん」に先立つこと十数年、第二次大戦では多くの国が戦禍を受けた。

 フランスも、その例外ではない。

 パリが陥落し、ドイツの傀儡であるヴィシー政権に支配されたのだ。

 そういった、戦後の荒廃から、なんとかモダン・ライフに脱皮しようとする過渡期を、はからずもこの映画は切り取り記録しているのだ。

 しかも、美しい映像とコミカルなストーリーと、さわやかな音楽で。

「僕の伯父さん」これからも、しばしばこの映画は観ることになるだろう。



 私のおすすめ:
『TSUTAYA DISCAS』/ネットでいつでもDVDレンタル!

|

« 収斂せよ、しからずんば……「モンスター」浦沢直樹 | トップページ | podcasting »

銀幕のこと(映画感想)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 〜夢のモダン生活〜 ぼくの伯父さん:

« 収斂せよ、しからずんば……「モンスター」浦沢直樹 | トップページ | podcasting »