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2005年8月12日 (金)

「待て、しかして希望せよ」(岩窟王)


 これは、2004年制作のアニメーションである。

 イントロダクションを公式サイトから引用すれば、


「幻想の未来都市パリを舞台に、復讐の物語が幕開く
15歳の春。パリの貴族アルベールは、親友フランツとともに月旅行に出かけた。
約束された将来、親が決めた婚約者・退屈な日常から抜け出した先に待っていたものは、大富豪モンテ・クリスト伯爵との出会いだった。
奥行きの見え隠れするその紳士に次第に心惹かれるアルベール。だが、その出会いは、少年の運命を揺さぶる壮絶な服襲撃の始まりだった‥‥」

ということになるが、何せ、もともとはA.デュマの「モンテ・クリスト伯」なのだから、面白くないわけがない。

 天を衝く激しさで人を憎み、人生のすべてを擲(なげう)っても、我が身に降りかかった厄災を倍加して投げ返そうと願う気持ち。

 そういった負の高揚感で、心を満たすことに魅力を感じぬ者があろうか?


 若いころから、心を捉えて離さぬ言葉がある。

「男の人生は復讐である。憎むべき者がいればその者に、いなければ人生そのものに、存在全てをかけて復讐するのだ」


 岩窟王は、地位を奪われ、自由を奪われ、青春を奪われ、恋人を奪われた男の復讐譚である。

 徒手空拳の男が、莫大な富を手に入れた後、じわりじわりと真綿で締め付けるように、自分を陥れた者に復讐していく。

 面白くないわけがない。

 ベスターの「虎よ!虎よ!」が魅力的なのと同じ理由だ。というより、ベスターは、「巌窟王」から多大なインスパイアを受けているのだ。

 原作は完成された復讐譚、アニメはその上に、設定を中世の雰囲気残る未来都市パリの話とし(パリでのロケハンをもとに3Dcgiの未来都市を制作)、エドモン・ダンテスことモンテ・クリスト伯爵を、原作以上に神秘的な存在として描写することに成功している。

 全体の雰囲気としては、菊池秀行の「バンパイア・ハンターD」の世界観に似ているかもしれない。

 画の面から見ても、デジタル処理を多用した画像は、描く対象物「画面全てにスクリーントーンを貼り付けてやる!」といった気概に満ちて斬新である(最新のディジタル技術を用いた2Dテクスチャリングらしい)。

 機会があったら観てもいいかも‥‥

 しかし、原作を読み返して気づいたのだが、エドモン・ダンテスが幽閉された期間は14年。映画「オールド・ボーイ」のオ・デスとほぼ同じ年月なのだった。

 中学生の頃、岩波の「巌窟王」を読んで、14年とは、想像すらできぬ途方もなく長い歳月だと思ったもの(当たり前だ、その頃の全人生よりも長い期間なのだから)だが、今となっては、それくらいの時間なら、短くはないが大して長くもない、いわば、現代刑法における無期懲役の実質拘束期間程度ではないか、と思ってしまうのは、わたしがトシをくったためであろう。

 余談ながら、デュマの「岩窟王」は、全てを失った男の復讐譚ながら、そのラストは、すがすがしく希望に満ちたものとなっている。

 「アイ・飢男ボーイ」などの原作者、小池一夫が、同様の復讐譚を扱いながら、すべてが堂々巡りの末、尻つぼみになってしまうのに比べて、デュマの作品は、復讐をし、願いが成就して後も、人生はやり直せるのだ、という力強さに溢れているのだ。

 作者の胸の大きさ、度量の違いと言ってしまえばそれまでだが‥‥。


「待て、しかして希望せよ!」

 物語の中核を為し、かつ物語の最後で、モンテ・クリスト伯爵が言い残して去る言葉である。

 けだし名言ではなかろうか?

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