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2005年7月26日 (火)

マイノリティ・レポート

 これは、あの駄作AIに続く、スピルバーグ監督の最新作SFだ。
 トム・クルーズが主演している。
 原作フィリップ・K・ディック。
 見始めて最初に感じるのは、内容以前に、映画全体のカラーに問題だ。
 往年の大映の赤っぽい映像のように、すべて灰色がかっている。
 それが、プライベートライアンやAIと同じで、どうも映画全体を単調に感じさせてしまう原因のひとつとなっている。

 ストーリィ自体は、何度か、どんでん返しが用意してあって、まずまずというところだが、いくつか苦言もある。

 第一は、映画公開前の、「犯罪が予測できるようになった未来」という表現は、実際の映画とはかなり違うように感じる点だ。
 設定は、原作と同じように(当たり前だが)、超能力者を使った予知(予見?)PRECOGNITIONを用いて、犯罪(殺人のみ)を未然に防ぐというものなのだが、映画の惹句だと、機械で何らかの予知ができるように勘違いしてしまうのだ。
 実際は、予見能力者が夢見る画像をブレインスキャンして映像化し、それを見る人間が事件を判断し、突発殺人なら赤玉、計画殺人なら茶玉をレーザーが削りだして、コロコロと転がって出てくる。
 その、なんとも子供だましな「SFさ」に思わず失笑してしまう。

 もうひとつ。
 これはCGを多用する最近の映画に共通した傾向なのだが、どうも、必要以上にアングルを替え、被写体に近づきすぎるような気がする。
 これまでできなかったアングルが、CGを使えば簡単にできるから、つい嬉しくなって使うのはわかるが、観ていて目が疲れるのだ。
 もうすこし引いて、全体を一目で見渡せる撮り方を多用したほうが、いいのでは無いだろうか。
 たとえば、車が走っていると、そのぎりぎりまで近寄って撮ったあとで、ぐっと引いて、遠景になったかと思うとまた激しく近づいてアップにする……まったく疲れるのだ。
 以前のスピルバーグはそんな撮り方はしなかったような気がする。
 撮影監督が変わったのだろうか?

 さらにもうひとつ。
 P・K・ディックは好きな作家なので、昔から、日本語でも英語でも原作は読んでいるのだが、どんな読み方をしても、あのような、暗い近未来の情景描写は無いような気がする。
 どちらかというと、彼が小説を書き始めた60年代SFの古き良き、日常的なSF描写(というニュアンスが分かってもらえるかな)が、彼の作風だと思うのだ。普通の生活の中で科学が進んでいる、といった感じ。
 たとえば、ブラウンの「73光年の妖怪」や、「夏への扉」のような、50年代アメリカ(冷戦は始まりつつあったものの、同時に黄金時代であった)の日常生活が、その雰囲気のまま未来にシフトしたような情景描写が、ディックの作品には似つかわしいのではないだろうか。

 その点からいっても、今回の「マイノリティ・レポ−ト」は、ちょっとリアルな汚さを追いかけすぎているような気がする。

 なにゆえ、ディックSFはそのような汚れたリアリズムに堕することが多いのだろうか?
 諸悪の根元は、リドリー・スコットの「 ブレードランナー」にある。
 「アンドロイドは電気羊の夢をみるか(原題)」は、若干退廃した雰囲気はもっているものの、R・スコットが描いたような(って、あの人は、異星を描いても、大阪を描いても、なんでもあの感じだが)雨に煙った、みょうに日本的な小汚い街のはなしではなかった。

 原作では、ステイタスとして生きたペットを欲しがり、そのためだけに命がけの戦いをしていく男、戦争の遺物としての放射能を恐れて、股間に鉛のプロテクターをつけている、まじめな、いやだからこそ、なおいっそう滑稽な、「おもろうてやがて悲しき……」タイプの男が主人公であるのに、映画のフォードはカッコ良すぎる。
 個人的な希望としては、フィフスエレメントにおける、B・ウイリスにやってもらいたいところだ。

 そうでなくても、せめて、暇があれば、通販のカタログを見てため息をつく中学生のように、しょっちゅう『シドニー社版鳥獣カタログ一月号付録』を取り出しては、主人公が生きたペットの値段を確認する場面をいれて欲しかった……。
 そういった、コミックさがなければ、主人公のバウンティハンターが救われないではないか?

 「アンドロイド〜」が、それなりにハマりすぎたために、その後の、映画におけるディック世界は、「ブレードランナー」的退廃世界(マッドマックスのようなオーストラリア砂漠的退廃世界とは世界観を異にする)になってしまった。

 「ブレード〜」のオマージュとして、ロボコップのP・バーホーベンは、「トータル・リコール」を撮り、リュック・ベッソンは、「ブ〜」を敬愛するあまり、描けもしないし、知識もほとんどないSFにイキナリ手を染めて、B・ウイリス主演の出来損ないのスコット的ディック世界を造りだしてしまった(フィフスエレメントのことですよ)。
 驚いたことに、結果的にそれが大成功を納めて、彼の作品では屈指の傑作になってしまったのは嬉しい誤算だったろうが……。

 スピルバーグが撮るディックSFだからこそ、暗くてもいいから、もっと自然な色合いの映像にしてほしかった。

 さらに、付け加えれば、「バニラスカイ」に続いて、今回もまた、トムは、自分の顔を見にくく替えるSFXを使っている。
 それは彼の心に、無自覚に老醜へのおそれが巣くっているからだろうか……。

 p.s.
 ディック原作ながら、ピーター・ウェラー(ロボコップ)主演の「スクリーマー」は、それとはちょっと違う映像美なので割と好きな作品だ。

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