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2005年7月26日 (火)

デアデビル(その2)

 最近、スパイダーマンなどに代表される、コミックの映画化、いわゆる「マーベルもの」の一つ。
 主演は、日本をバカにするな、だらぁ、の「パール・ハーバー」あるいは、恩師であり義理のオヤジになる男(B.ウィリス)の自己犠牲の直後に、それすらも分かっていないバカ娘と、なに長々とディープキスやってやがんだコノヤロ、でおなじみの「アルマゲドン」で主役をハッたベン・アフレックだ。

 確か、彼は、生き馬の目を抜く聖林にいて、「このままでは一生日の目を見ることは無いぜブラザー」とワルダチのマット・デイモンとともに、「グッド・ウィル・ハンティング」の脚本を書いて同世代から頭ひとつ抜け出したのだったな。

 さて、デアデビル。
 原作はまるで知らないのだが、これも、バットマン、スパイダーマンに代表される、フリーク・ヒーローだ。

 この場合の「フリーク」は説明がいるかもしれない。
 昔は、ヒーローが『マスクド』であることに説明はいらなかった。
 派手なコスチュームも釈明しなくてすんだ。
 彼らはヒーローなのだ。ケープやマントはあって当たり前。
 これでよかった。
 だが、時代が下ると、彼らがいい大人なのに子供じみたコスチュームに身を包むいいわけを考えなければならなくなったのだ。
 ファンが大人になったから、というのが大きな理由だろう。
 いや、大人になった人々が、まだファンでいる、ファンであり続けたいと考えるから、その説明を、製作者側が考えねばならなくなったのだ。

 スポーンは火傷でただれ、腐りかけた顔を元妻、ワンダに隠すためにマスクを被る。
 マスクド・ライダーは、マスクの中に、能力を引き出すギミックが仕込まれているから被らねばならない。
 だが、すべてのヒーローをサイボーグにしたり、火傷させたりはできない。
 そこで、考えられたのが(というか、よく使われるのが)、ヒーロー達が、幼い頃に被ったトラウマによって正義の味方にならざるを得なくなり、自己の自我を他の動物やモノの転嫁させるために、コスチュームを着る、という解釈だ。
 バットマンはその最たるもので、敵すら普通の悪人ではない。
 一歩間違えれば、カウンセラーから医者へとバトンタッチされそうな、サイコ野郎どもばかりだ。

 画のほうは、まずまず良かった。
 芸術を気取る恋愛ものにありがちな、肌のきたない白人って撮り方はしていない。
 ヒロインは、カラードの、美しくないが好感は持てるタイプ。
 ちょっと今風の撮り方で、目が痛くなるが(って、映画の日だからって、はしごして、ジェネシスと二本立てにするからなんだが)アクション以外は観やすかった。

 アクションシーンは観づらい。
 マトリックス以降、役者にクンフーアクションをさせるのが流行なようだが、やはり役者は役者、ろくな立ち回りができないから、画面を暗くして、フラッシュライトの元、カメラを揺らしての撮影になる。

 盲目の主人公なんだから、真っ暗なシーンでごまかす事も可能だと思うが、さすがにそうはしていなかった。

 斬新だったのは、音で画像を「見る」ことが可能なデアデビルが、恋人を雨の中立たせて、水しぶきでその顔を「見る」シーンだ。

 殺し屋、ブルズ・アイのサイコばしった演技は、レオンのオールドマンに匹敵する。

 反対に、キングピンを演じていた、あのグリーンマイルの巨大な黒人、えーと名前忘れた。彼の演技はまるで駄目だった。
 ズータイがでかいだけで、アンドレ・ザ・ジャイアントの100分の一も体が動いていない。

 単純熱血話の好きな私としては、デアデビルのオヤジが、自分がカツ上げをしている姿を見た息子が、ショックで産廃廃液を目にうけて失明したことを知り、43歳でリングに返り咲こうとトレーニングを開始するところで胸が熱くなった。情けない。

 蛇足ながら、盲人眼鏡をかけたアフレックは、顎の四角いキアヌ・リーブスって感じです。

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