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2005年7月26日 (火)

それは宇宙のカウボーイ




今回は映画「COWBOY BE−BOP 天国の扉」について書きます。
 知っている人は知っているでしょうが、このCOWBOY BE-BOP、もとはテレビ放映されたアニメーションで、ガンダム(を代表にしていいのかな)のサンライズが、ややオトナ向けに作ったハードボイルド・アニメとでもいうべき作品です。

 個性的な乗り物は出てきますが、いわゆる人型ロボットは一台も出てきません。
 オトナを意識して背伸びしたがゆえに、麻薬などを扱った部分が問題となり、当初はかなり変則的な放映をなされ(たとえば、麻薬がらみの第一回が放映自粛でいきなり二話からはじまった)ましたが、その後徐々に人気が高くなって、DVDが発売されるころにはサンライズの第三の顔と呼べる作品になっていました。

 のちの人気を考えると、最初にあった放映自粛のドタバタも、後のウケ狙いだったのかと勘ぐりたくなるほどです。

 時代設定は、21世紀半ば、人類は、ハイパーゲートと呼ばれるワープトンネルを用いて太陽系中に散らばっており、宇宙空間には、警察機構だけでは取り締まれない犯罪を処理するために生み出された、カウボーイと呼ばれる賞金稼ぎたちが闊歩しています。

 で、BE-BOP号と呼ばれるボロ船に、三々五々と、ひと癖もふた癖もある、脛に傷持つ賞金稼ぎ四人と一匹が集まり、やがて去っていく、というのがテレビシリーズの大筋でした。

 回ごとにムラがあり、まったくの玉石混交ではありましたが、玉はとびきりのギョクであったために、今回つくられた映画には、ついそれを期待してしまいました。

 原作は、テレビシリーズと同じ、サンライズにおける「アラン・スミシー」つまり合同脚本名である「矢立 肇」となっています。

 時間設定は、当然ながら、四人と一匹がBE-BOP号に集った、一番アツイ時期を選んであります。

 そうだ、その前に……、このBE-BOPシリーズを、他のアニメから突出させている要因をひとつだけ書いておこう。
 それは、主人公たちが、幾度となく空腹にさいなまれることです。
 空腹は食欲と排泄につながっている。

 思春期のころから、ずっと尊敬していた故松田道雄氏が、生きているとはどういうことなのか、と新聞の質問室で少年から尋ねられ、「たべて排泄することなんだよ」と答えるのを読んで、感銘をうけたことがあります。

 キレイゴトを並べれば『生きる』という定義は星の数ほどあるでしょう。
 ですが、形而下で、現実的に、生物的に判断するなら、まさしくそのとおり、食べて出すのが生きるということです。

 つまり、カウボーイたちは、戦火の中で命をやりとりし続けている、他のサンライズ作品(アニメ作品といってもよい)の主人公たちより、はるかに『生きて』いるキャラクタなのです。

 名前は出しませんが、女性に弱い、あるいは女性を好きなオトコを主人公にした作品は、世にいくつかありますが、性欲を前面に押し出しても、主人公は生きてはきません。
 なぜなら、性交は死と同義だからです。(こいつは半村良氏の受け売りですがね)
 なんせ、性交による絶頂のことを仏語でプティ・モール(LittleDeath)ってくらいですから。

 ま、それはともかく……
 サンライズ側が、どこまで意識していたかは知りませんが、食欲を強く前に押し出したBE-BOPシリーズは、SFアニメで最初の生きた主人公を生み出したのです。
 さすがに排泄シーンは出てきませんが、何度かトイレの描写シーンは出てきます。

 さて、前フリはこの程度にしておいて、「天国の扉」です。
(ココカラハネタバレダヨ)

 ギミックから言えば、今回のテロリストが用いる、ナノテク擬似ウイルスというのは、なかなか面白いと思います。
 劇中で、すでにナノテクウイルスがなんたら条約で禁止されているというのも、押さえが利いていてうれしい限り。

 だが、この犯人がイカン。
 線が弱すぎる。最後に見せる涙はなんだ?
 テロルは許されない行為だ。
 だが、現実にそれに走るものがいる。犠牲者もでる。
 もし、主人公をテロに対抗させるなら、それは完全に未然に防がれなければならない。
 劇中では、さすがに最大のテロは最後に防がれるのだが、それまでに百人以上の犠牲者が出ている。
 つまり、サンライズは、部分的にテロルを肯定しているのだ。
 肯定するなら、最後まで主人公を悪魔のような存在にとどめておくべきだ。
 エアフォース・ワンのゲイリー・オールドマンのようにね。
 それを、政府の実験に使われた哀れな特殊部隊の生き残りでござい、というオナミダチョーダイに落とす安易さ。
 あまつさえ、もと恋人を見て正気を取り戻すだと?
 ふざけるなってんだ。
 それで、「あいつは誰ともゲームができない男だった……」てな話は通りゃせんて。

 ウイルスが脳に達した瞬間に見える黄金の蝶ってのは最高にいいんだからもったいない。

 危うく死からよみがえった人々は、その多くが死ぬ直前に光につつまれ、至上の音楽を聴いたというが、それに似ているな。
 大脳生理学的にいえば、死に臨んで、脳の各部で最後に死ぬフィールドに、そういった悦楽を与える部分があるという仮説をきいたことがある。
 個人的な感想をいえば、それは苦痛の多い人生を与えた償いに神が最後にヒトに与えたご褒美に違いない(ウソ!)。

 そんな話を彷彿させて、なかなかいい設定だのに。

 どうも文句が多くなって困るが……それだけ期待していたんスよ、ダンナ。

 それゆえに、ビンセントが腰砕けなのが許せない。
 中途半端な恋愛モノ、あるいはお涙頂戴にするんじゃない。
 非常なテロリストなら、最後までそれで押し通すべきなのだ。
 自分の命をかけて、ウイルスをばら撒き、望みを達成した満足の笑みを唇の端にはりつけたまま散っていくのが、ああいった男の真の死に様ではないのか?
 そして、ぎりぎりで主人公たちがテロルを防ぐのだ。

 ともかく、最後の最後に、それまで不気味だったビンセントを、ただのセンチなオッサンにしてしまったサンライズの罪は重い。

 もうひとつ。
 惹句に「ハリウッドが注目する」ってあるが、聖林のウケを狙うあまり、火星の都市をあまりにNYっぽくするのはいかがなものか?
 ブラックピープルがルースファッションで街を徘徊し、モノレールはまるでNYの地下鉄だ。
 ごく一部に、香港の女人街、あるいはモロッコの市を髣髴させる場所が登場するが、窮地に陥った主人公スパイクを助けるのは、相変わらす、どうみてもネイティブアメリカンっぽい火星土着民(んなもんいるのか?)だ。

 それで思い出した。胸板をブチ抜かれて海に落ち、ろくな医療設備もない砂漠に担ぎあげられた主人公は、どうやって助かったのだろう。
 もちろん、サンライズは、テロリスト、ビンセントにあとで「急所をはずして撃ってやった」なんていわしているが、あれはどうみても体の中央部分をカンツーしてまっせ。
 どうもカリオストロ以来、貫通銃創に対する認識が甘いような気がする。
 ヒト、いや高等(もちろん徳性が、じゃないよ、単にごちゃごちゃした内臓を持っているというだけ)生物の体のなかには、すべて必要なものがギッチリと整然とつまっている。その一部が損傷をうけても命の存続はあやうくなるのだ。
 横隔膜より上なら気胸をおこし、下なら腹膜炎になる。
 「急所をはずした」とはよく使う表現だが、それは即死しないというだけのことで、死に至る銃創になる可能性は大きい。
 だから、戦闘能力を失わせる威嚇射撃は、手足を狙うように指導するのだ。
 あれが肩を打たれるたのならまだ納得できる。それですら、ヒトほど神経系が発達していれば、指先を打たれた衝撃で死ぬことも稀ではないから安易に使うべきではないのだが。

 そこで、鉄砲玉にアニキ分はこう教えるのだ。
「刃物をぐっとおしこんで、よぉく空気をからだに入れてやるのさ、それで相手は簡単に死んじまう……」

 えーと、あとは……そうそう、音楽について、だ。
 このBE-BOPシリーズはテレビシリーズを含めて、きちんとした形で、宇宙での戦闘シーンにJAZZを使った最初の作品だろう。

 その通り、宇宙での戦闘シーンには、ロックではなく、クラシックでもなく、沖縄民謡でもなく、JAZZが似合う。
 SF映画のエポックメイクな作品であるクーブリックの「2001年宇宙の旅」では、長く使われるクラシックが、素晴らしい映像と相まって観客の度肝をぬいた。
 だが時代はうつり、宇宙空間はJAZZで満たされた。
 (私見だが、カンツォーネも真空には合うと思うな)

 個人的には、今回の映画のための書き下ろしの曲より、テレビシリーズの曲の方が好きです。(なんせ、エドとアインが、ハッカー野郎を探すシーンで流れる曲は、雰囲気が『男と女』そっくし!で恥ずかしいし)

 余談ながら、この稿を書きながら、大学の同級生のおじいさんが松田道雄博士であると、氏が亡くなられてから知って大ショックを受けたことを思い出しました。
 前もって知っていたら、博士にはなんとしても一度お会いしたかった……。

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