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2005年7月26日 (火)

もしもわたしが死んだなら

 故植草甚一氏をご存じだろうか?

 井上ひさし氏によると、氏は「国宝的雑学博士」である。
 植草氏に関しては、インターネットで名前をキィワードに検索していただいたら、すぐにその人となりをしることができるであろうから、今は横においておくとして……

 その植草氏が亡くなったことで、二人の作家がある経験をする。

 ひとりは、ルポルタージュを得意として若者に人気のあるS氏だ。
 私は、自分があの「S夜T急」を書いた氏から多大な影響を受けたことは、決して否定はしないが、「象が空を」などのエッセイ集を読み続けると、どうにも彼の根本的な暗さに胸が重くなってくる。悲観的すぎる考えについていけなくなるのだ。

 そのS氏が、通りがかりに、マンションのロビーにうず高く洋書が積まれているのを見かける。翌日もまたその翌日もその本はそこに置かれたままだった。氏は一週間を過ぎる頃に、やっと管理人にその訳をたずねた。
 気の長い話だ。わたしなら二日目には管理人に尋ねているだろう。
 たとえ自分の好みに合わないとしても、ペイパーバックならどんなものでもとりあえずは手にいれたいからだ。英字新聞のような簡潔な英語描写でなく、きちんとした小説文ならいつも目にしていたい。

 尋ねられた管理人は、その本の山が、先だって亡くなった植草甚一のものだと答えた。氏がそのマンションの一室を書庫のように使っていたが、その死後、書物のほとんどは遺族によって処分された。その残りがロビーの本であるらしい。
 S氏は本を持ち帰る。それは1000冊近くあった。
 だが、売れ残るだけあって、そこにあまり値打ちのある本はない。氏の言葉を借りれば、「ペイパーバックスが出てしまえば、大バーゲン品になってしまうような(中略)文字通りの駄本……」ばかりであった。
 七十年代に経堂の街をあるくたび、S氏は派手な服を着て街を歩く植草甚一とすれ違ったらしい。だが、声をかけることはなかった。
 そして、最後に氏はこうつぶやく。
「人は死に本が残された。確かに私は植草甚一と(中略)まっとうに話すことができなかった。心は残るが、しかし後悔なしに擦れ違うすべての人に関わることが不可能な以上、ここにこれだけの本があるということだけで充分すぎることなのかもしれない」

 さて、もうひとりは、先に述べた井上ひさし氏である。
 氏は、植草氏の死後、その膨大な蔵書が散逸するのを知り、売らないことには、税務署が蔵書に税金をかけるために相続税を払わざるを得なくなることを嘆き、植草氏が長い時間をかけて作り上げた、一説によると八万冊あるといわれる彼の宇宙が崩れていくことを悲しむ。
 そのへんは、すばらしい文章なのでそのまま引用させてもらおう。
「燕が細枝や葉の切れっぱしや糸屑をひとつずつ拾い集めて巣をつくるように、書物好きも、ある日は一冊、また別の日には二冊というように本を抱えて帰宅し、すこしづつ書架へならべて行く。その瞬間にその一冊一冊が意味を持ちはじめ、書架は彼の脳みその出店の如きものになる……」
 そして、井上氏は、自分の蔵書も死後に散逸してしまうのか、と少しばかりシュンとしてしまうのだ。
 だが、東北の出身ではあるものの(ま、これは偏見ですね)、彼の力強く健全な魂は、ある航空便の手紙で甦る。
 それは、米国、インディアナ大学に留学している女性からの手紙だった。彼の大学の図書館にある「夏目漱石全集」の一冊の表紙の見返しに「井上廈(ひさし)」とあったが、それはあなたの蔵書だったのだろうか、そんな内容の手紙だった。
 確かにそれは、氏の蔵書だった。
 なんらかの手違いで、不要な本に混じって古本に売りに出されたものに違いない。
 それが、巡り巡って、いまは、当人すら行ったことのないアメリカの大学に彼の本は収まっているのだ。
 そして氏はこう考える。
「やがて、書物の行動力の逞しさに感心してしまいました。そうなのだ、書物は自分自身の持つ力で一番自分にふさわしい場所へ移動するのだ。したがって小生ごときが、植草宇宙が崩壊する、などと大げさに考えずともよい……」
 なんと、すばらしくたくましく、健全な考えなのだろう。

 だから、私は、自分が死んだあとの、自分が集めたものどもの行く末を案じてはいない。
 私もまた、彼らがりっぱな旅人になるだろうことを確信しているからだ。

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